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体罰ガイドライン案に対する率直な感想と学校教育に置き換えて考えてみた【何でもルール化で大丈夫?】

先週,体罰ガイドライン案が国から出された。

Yahoo!ニュースにもなっていたのでピックアップ

news.yahoo.co.jp

 

この記事に載ってる体罰の具体例は以下の通り

1 口で3回注意したが言うことを聞かないので、頬を叩く
2 大切なものにいたずらをしたので長時間正座させる
3 友達を殴ってケガをさせたので、同じように殴る
4 他人の物を盗んだので、罰として尻を叩く
5 宿題をしなかったので、夕ご飯を与えない

これを見ての率直な感想

“こういうきまりを作らないと体罰はなくならないんですか?”

“なんでもかんでも『ルール・ルール』でこの国は大丈夫ですか?”

 

もちろん体罰はあってはならないこと。

後,こうやって指針にしないと微妙なラインの体罰は見逃されてしまうこともこれまでたくさんあったんだろう。

だからこそ今回ルール化しようとしているんだと思う。

だけどなあ・・・

“◯◯=は体罰”と,基準を明確にしすぎるのってどうなんでしょう?

今回は家庭教育の在り方に国が介入しすぎるのってどうなの?

これも“ルール”というやり方で

家庭の在り方って多種多様で良いじゃん。

特に,上の体罰の具体例の2番

正座って微妙なところなんじゃ?

罰としての正座は良くないかもだけど,話を聞く姿勢としての正座ってありな家庭もあるように思う。

そこは家庭それぞれの価値観でいけば良い。

それを長時間正座=体罰といった形でに厳罰化してしまうことが何とも浅はか・・・

どうにかしてこの何でもかんでもルールという方向性についてもう一度考えていきたい。

そういうことを考えていかないと,何でもかんでもルールにして縛っておけばオッケーみたいな感じになっていってしまう。

ルールだけの世界ってすごく息苦しいというのが個人的な見解。

ルール以外の何か別の対策をもっと考えるべき。

てか,そもそもルールがなければ体罰するんですか????

それと,悪しき行為をする一部の人達のために何でもかんでもルール化するのってどうなの?

そもそもその人達は,なぜその行為がダメなのか分かっていない。

行動に移した時点で分かっていないということ。

 

では,学校では何ができるか?

それは,

①ルールが存在する意味を考えること

②それからさらに大事なのは,そのルールってそもそもどうなの?と問い直すこと

そうすればルールなんてなくても,自分で考えて良いと思うことはやるし,悪いと思うことはやらないし,そうなっていくんじゃないかなあ。

 

 

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