・なぜ子どもに寄り添うことが必要か・子どもに寄り添うとはどういうことを指すのか知りたい
・子どもに寄り添う教師の姿の具体の様子を知りたい
学校現場で働いている方は、これまでの経験の中で「子どもに寄り添う」という言葉を一度は聞いたことがあると思います。
しかし、この「子どもに寄り添う」という言葉
この言葉は漠然としていてイマイチどのようなことを指すのかピンとこない先生も多いのではないでしょうか。
そこで本記事では、「子どもに寄り添う」ということについて考えていきたいと思います。
・子どもに寄り添うことが必要な理由
・子どもに寄り添っていないと感じる言動はズバリこれ!!
・授業中に子どもに寄り添う教師の具体の姿
・子どもに寄り添うために必要な教師のあり方
目次
子どもに寄り添うことが必要な理由【子どもに安心感を与える】
子どもに寄り添うことが必要な理由として、最も上位にくることは、「子どもに安心感を与えること」だと僕は思っています。
子どもは、“自分は大切にしてもらえている”と承認欲求を満たしながら,安心感をもって自己実現をしていくことができます。
下の図は、マズローの5段階欲求を図です。
かなり有名ですが、ある欲求が満たされると、上の欲求に行くことができるという考えです。
最上位の「自己実現」にたどりつくためには、その土台となる「安心感」がとても大切であることが分かります。
安心感とは“自分は大事にされていて大切な存在だ”“自分のことを見てくれている”と感じることであり、子どもにとってものすごく必要なことです。
子どもに寄り添うということは、子どもが自己実現できるための大きなサポートなんです。
子どもに寄り添っていないと感じる言動はズバリこれ!!
教師が子どもに言う言動の中に、僕がどうしても違和感を感じてしまう言葉があります。
それは、「◯◯しなさい」という指示です。
最近はあまり聞かれなくなってきましたが、“〇〇しなさい”という言葉はすごく命令口調の上からの指示のように感じてしまわないでしょうか。
そのつもりで使っていなくても、その言葉を受け取った本人はどう思うのか分かりません。
僕にとって「〇〇しなさい」という指示は、子どもを操作する対象として見てしまっている気がするので使わないようにしています。
インターネットで“〇〇しなさい”と調べてみると,
「〇〇しなさいという言葉は子どもの能力をつぶす」なんて記事も出てきました。
大人どうしでも使わないような言葉遣いはあまり使わない方が良いのではと感じています。
・子どもに対する言葉遣いには十分気をつける
・別の言葉を考える
例)「〇〇しなさい」→「〇〇しましょう」「〇〇してください」
ちなみに「〇〇しなさい」という言葉ではありませんが、僕も以前いつの間にか子どもを傷つけていた言葉を使ってしまっていたことがありました。
本当に子どもに申し訳ないと感じたと同時に自分の人権感覚の低さにショックを受けました。言葉遣いには本当に気をつけたいです。
授業中に子どもに寄り添う教師の具体の姿
では次は具体例です。
授業中、子どもに寄り添う教師の具体の姿として僕が大切だと感じていることは、次の2つです。
①目的を子どもの問いや願いに
②問題を解決する方法は子どもなりに
順番に解説していきます。
【勉強の目的は誰のものか?】目的を子どもの問いや願いに
勉強する主体は子どもなので、勉強の目的が先生から与えられるということは本来おかしいわけです。
“勉強する目的がしっかりと子ども自身の目的になっているのか?”この視点で授業改善を続けて行くことはとても大切です。
例えば、3桁どうしの筆算を勉強する導入で、
A:先生から子どもへ、「3桁どうしの計算をできるようになるということが今回の目的だよ」と与える
B:子どもが自ら、“なんとしてでもこのどうしても解きたいから,3桁どうしの計算ができるようになりたい”と感じて動き出す
AとBのどちらが、子どもに寄り添えていると言えるでしょうか?
Aの方は、新しい勉強だから頑張ってときましょうという先生からの隠れたメッセージが込められています。
しかし、Bの方は、先生はある具体的なシチュエーションを提示したり、子どもの日常の中から問題になりうる場面をもってきて、子どもの問題意識を生み出すためのサポートをする。
明らかにBの方が子どもを尊重していると思います。
算数ありきで考えるのではなく、子どもの生活観を丸ごと受け止め、そこから子どもの興味・関心で勉強できるように環境を整える、そんな先生が僕が目指したい教師でありますし、子どもに寄り添うことができている教師であると思います。
問題を解決するための方法は子どもなりに
問題解決する方法は、その子が選んだ方法でまずはやってみるということが子どもに寄り添う上で大切です。
例えば、上の“3桁の計算の仕方を考える ”のであれば、いろんな方法が出てきます。
・既習の2桁の計算を生かして3桁の計算でも同じように計算してみる
・筆算を使う
・位に分けて考える(100・10・1がそれぞれいくつ)
・お金を使って考える
など
そんな子どもたちなりに編み出した方法を大切にしていき、実際にその方法で解いてみるように促していくことが僕は子どもに寄り添うことだと思っています。
しかし、どうしても学校の授業になると効率を求めてしまい、そんなふうに子どもの出したアイディアを扱えないことがあります。
3桁の筆算だと、効率的なのは明らかに筆算ですし、その後の流れ的にも筆算を扱って行くので,“筆算”で問題を解くように促してしまいます。せっかくの子どもの発想を狭めてしまいかねません。そして子どもは、“先生の求めている答えは何だ?”と先生の正解探しの方向に進んでしまいます。これには十分気をつけたいです。
“目的が決まっていれば,そこまでの行き方は自由”
そのことを念頭に置きながら,実践を重ねていく必要があります。
普段の生活で子どもに寄り添うために必要な教師のあり方
「◯◯しようと思っているんだけどどう?」と子どもに提案する
何か先生が“こういう活動ができたら良いなあ”ということがあって子どもに伝えるときにも、子どもに寄り添うことができているかどうかが現れます。
「◯◯をします」ではなく、「◯◯しようと思っているんだけどどうかな?」と子どもに聞いてみる姿勢が大切です。
このように聞くだけでも、“あ,この先生は自分たちの気持ちも聞いてくれるんだなあ”と子どもは感じるのではないでしょうか。
例えば、
音楽会の曲決めでも、
「今年はこの歌を歌います」と教師が決める
「こんな歌を考えているんだけどどう?」または「何を歌いたい?」と聞いてみる
どちらが子どもに寄り添えているでしょうか?
上に書いた授業の例と全く同じですね。
他にも、何か実行するときは子どもに提案をして了解を得る、民主主義としては当たり前のことです。
子どもの声を聞く
授業で子どもが何に問いをもっているのか?困り感があるのか?
当たり前のことですが、子どもの声なき声にも耳を傾けていく必要があります。
おわりに
「こんなの理想論じゃん」と言われるかもしれませんが、そんなことはありません。
学校は子どもが主役になる場所です。
先生の顔色を伺いながら生活する場所ではありません。
もちろん、教師が決めることが必要な時もあります。しかし、子どもに寄り添うことができているか、日々振り返ることは大切です。
僕自身も日々の子どもへの関わり方を振り返りながら生活していかなければいけません(^^;;
最後までお読みいただきありがとうございました。
では!!