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【若手教師の戯言】教師の価値観を変える

今日は教師の価値観についての話です。

教師の価値観のみで子どもを見ないということはとても大切です。

 

なぜなら価値観を一旦置いておかないと,子どもの世界には入ることができないからです。

 

僕は子どもに「自分はありのままの自分でいていいんだ」と感じてほしいです。

 

しかし,教師の価値観のみで子どもを見ると,その子の本当の理解者として信頼されず,その子自身も「先生や友達は自分のことを分かってくれない」と自己肯定感だだ下がりです。

 

しかし,教師の価値観を変えるというか,教師の価値観を一旦置いといて子どもを見るということをしつつも,

結局は自分の中の価値観(モノサシ)で子どもを見たり指導したりしてしまうことが多いです。

 

それはしょうがないです。

なぜなら教師自身もいろんな経験を重ねてその価値観が形成されてきたから。

すぐに変わるはずがありません。

 

例えば,「話を聞きなさい」と言いますが,それは「誰の願いでしょうか?」

いろんな理由をつけて話を聞く大切さを伝えていきますが,結局のところ話を聞いてほしいのは教師側であり,自分の話を聞いてもらえないという悲しさを感じるから,それが怒りになり「話を聞きなさい」という指導をし,子どもをコントロールしようとします。

 

「話を聞きなさいと言ってはいけない」というわけでなく,自分がコントロールしたいということを理解しないで,そういった指導をするのはあまりにも強引です。

自分自身は話を聞いてほしい性格ということを受け止めて,子どもと対等に話す姿勢ということが大事なのではないでしょうか。

そうすれば「話を聞きなさい」という〝高圧的〟な指導にはならないように思います。

 

 

自分の価値観という狭い枠のみで子どもを見るなんてことはしたくない。

 

僕の理想の教師像

↓↓↓

子どもはどう生きたいのか知る。

それは子どもの背景を知っていなければいけない。

その子の課題に向き合うためにはその子の行動の裏まで理解しておかないと指導の効果がない。

 

その他にもいろんな理由がありますが,また改めて書こうかと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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