・授業中,子どもに理不尽な指導をしてしまう。そもそも理不尽て何?
・授業へのモチベーションが低い子・やる気がない子にどうしても厳しくしてしまう
・教師の授業の流れに興味をもたない子に厳しくしてしまう
・授業で厳しくするところと厳しくしなくて良いところが分からない
学校には、「これって子どもにとっては理不尽ではないか?」と感じるようなことがいくつかあります。
僕は教師として仕事をする中で、“子どもに理不尽がないように”ということを大切にして行っています。
その理由は一つ目に、民主主義の世の中にも関わらず、納得のないまま誰かが生活することは正当ではないと考えているからです。それは、子どもでも対等な人間であるから同じことです。「まだ子どもなんだから大人の言うことを我慢して聞かなければいけない」という考えは一切必要ありません。
二つ目に、僕自身が理不尽な思いをした過去があり、それが今でも心の中に残っています。それゆえ、理不尽なことにはものすごく敏感であるとともに、子どもにはそのような理不尽な思いをしてほしくないということが根本にあります。
そこで本記事では、教師が子どもに理不尽な指導をしないための原理原則を紹介したいと思います。
・理不尽な指導とはどのような指導か?
・理不尽な指導をしないための原理原則
この記事を書く僕は、以下のような人間です
「小学校教員をしている」
「理不尽な指導にものすごく違和感を感じている」
目次
理不尽な指導とはどのような指導か?【具体例】
理不尽な指導とは、子どもの思いを無視した指導だと僕は思っています。
具体的にどういうことか、説明していきます。
授業へのモチベーションが低い子にどうしても厳しくしてしまう
下の記事を見ていただけると分かりますが主体的になれるかどうかは、その授業が“面白い”かどうかで決まると僕は思っています。
【シンプルイズベスト】子どもが主体的に学ぶために必要なこと【結局、授業が面白いかどうかで決まる】面白くないものに面白さを見出し、モチベーション高くもって取り組める人はそれはそれでとてもすごいことです。
しかし、面白さを見出せずモチベーションが低いままという子も少なからずいます。
そんな子に“やる気を出して勉強しなさい”ということはあってはならないはずです。
なぜなら、面白くないもの・やる意味も見出せないものをしなければいけないということは人間にとってものすごく苦痛であるからです。
面白くないテレビを我慢して1時間見ますか?
という単純な話です。
家であればチャンネルを変えれば良いだけの話ですが、学校の授業となるとそういうわけにはいかず、その場にいなければいけません。これはとても辛いことです。
授業中に“携帯ゲームをしている・寝ている”ことも授業が面白くなければ仕方がありません。
その授業よりも気になる何かが携帯の中にあった、授業を受けるくらいなら寝た方が良いと思ってしまったというわけですから・・・(お恥ずかしながら実際の僕の高校時代の話です笑)
ですので、そういうことで“やる気がない”と指導するということは、子どもの思いに寄り添うということにはつながりません。また、子どもにとっても「なぜ厳しく指導されないといけないのか?」という不満にもつながります。
先生の授業の流れに興味をもたない子に厳しくしてしまう
子どもは生身の人間ですから、ある事象を見ても先生の考えた流れや目的とズレてくる子どもは当然出てきます。
これは決して悪いことではなく、自然体でいられているという意味では良いことです。
しかし、教師はどうしても授業のねらいに方向付けたくなってしてしまいがちで、もし教師の意図していない反応を子どもがいた場合、
強引に教師の想定していた方に、その子の言葉を解釈する
あるいはその子の言葉を無視してしまう
ということをしてしまいがちです。
これは、いかがなものかと思います。
授業の主役は子どもですから、子どもの思いをむしろ大切にしてあげたいものです。
理不尽でなく、厳しくするところはどの場面?【周りに迷惑をかけているかどうか】
基本的に僕の指導スタンスは、“誰かに迷惑をかけているかどうか”というところがきいです。
この視点で考えると次のことが指導ポイントとして当てはまってきます。
・時間を意識せず,授業が始まらない
・一生懸命頑張っている人にちょっかいや必要のない話をする
・友達が発表している時に,しゃべっている
→本人は聞かなくても良いのかもしれないが,周りの聞きたい友達もいることを理解する必要がある
このように、教師の厳しくするところの明確な基準をもっておくと理不尽な指導をしないで済みます。また、子どもがそれを分かっていると尚さら良いです。
理不尽な指導をしないための原理原則【子どもの思いや声をとにかく聴く】
僕が大切にしている理不尽な指導をしないための原理原則は次の3つです。
①子どもの思いや声を聴く
②子どもに与える安心感の土台となるものを大切にする【笑顔とわらい】
③ただ厳しくするのではなく、時には寛容さとノリも大切
順番に解説していきます。
思いや声を聴く
とにかく子どもの思いを聴くことが大切だと思っています。
教師が進めようとするのではなく、子どもが進もうとしていることを後押しする感覚をもつ
そのために、教師側が授業を進めようと急ぎすぎずに、子どもの思いが声や表情となって表出する瞬間を“待ってみる”のも大切なことです。
子どもに与える安心感の土台をなるもの【笑顔とわらい】
理不尽な指導をしないためにも、常に先生は授業中に笑顔でいたいものです。
また、状況に応じて笑いがあると、和やかな雰囲気の中で勉強することができ、クラスに安心感を与えてくれます。
理不尽な指導をしないということと笑いは一見関係ないようで関係があるように思います。
厳しくするのではなく、寛容さとノリ
上に、“誰かに迷惑をかけている”ことが指導スタンスであると書きました。
ただ誰かに迷惑をかけてしまったら、全部を全部厳しく指導したりはしません。
子ども注意される回数が増えると、自己肯定感もダウン、教師と子どもの信頼関係もダウン、クラスへの所属感もダウンと明らかに嫌な気持ちが増していきます。それをなんとか避けたい・・・
ですので、たまには寛容さを兼ね備えた指導が不可欠です。
例えば、授業開始時刻に間に合わなかった子に対して,
“何やってんだ💢みんな待っているぞ💢”
ではなく、
“今日は授業開始までチャイムから〇〇秒かかったね。次回はもっと早く目指そう!!”
“昨日よりも時間内に席についている人が多くなったね”
などとポジティブな声をかける・・・
ラフな感じに接することで、子どものお思いを傷つけることなく、かつそのルールの意図を意識することができるようになるかと僕は考えます。
また、人に迷惑をかけないことを学ぶことも大切ですが、人に迷惑をかけずに生きることができる人はいないのではないでしょうか。
人間なんだから失敗もするし、迷惑だってかけて当たり前だよね。お互いに迷惑をかけながらも支え合っていこう
という考え方も大切です。
おわりに
理不尽な指導をしないための原理原則について書いてきました。
「これって理不尽ななのかな?」と自分の心に日々問い続けていくことが大切にしていきたいものです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
では!
昨年度話題とTwitterやニュースで話題となった「学校ゆるくて良いじゃん」、内田良さんにもリツイートしていただいた記事はこちら
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