・教師の意図していない行動をする子への対応に悩んでいる
・どのようにその子に対応したら良いか知りたい
学校現場で働いている方と、教師の意図していない行動をとる子に多くの場面で出会います。
授業でも、子どもはこう反応するであろうと思ってした発問に対して、全く予想外の答えが返ってきたり、普段の生活でも「何が起きてこんなことになったんだろう?」というような行動をとる子がいたりします。
時に教師はその対応に追われ、どのようにして良いか分からず悩んでしまうこともあるでしょう。
そこで本記事では、教師の意図していない行動をとる子をどのように見るかという僕なりの見方と、具体的な対応の仕方について、具体的な場面を例に挙げながら紹介したいと思います。
先日投稿した子ども理解とつながるテーマですので、まだ読まれていない方は、そちらもご覧ください。
教師が子どもを理解することが必要な理由とその方法【教師に絶対的に必要なあり方です!!】・教師の意図していない行動をとる子どもの見方と対応の仕方
目次
教師の意図していない行動は、チャンスでしかない
僕がチャンスだと思う理由は以下の通りです。
①子どもの思いを知ることができる
②先生の言うことが絶対ではない、民主的なクラスになる
③自分自身の授業や行動を振り返ることができる
順番に解説していきます。
子どもの思いを知ることができる
子どもの“〇〇したい”は絶対に失わせてはいけない宝だと思っています。
実現はできないかもしれないけど,そう感じている思いそのものは認めてあげる。
これはかなり重要です。
例えば、次の時間が算数の時に
「次の時間は体育が良い」
と言う子について
子どもがそう感じていることは事実なんですから、まずはしっかりと「〇〇さんは体育が好きなんだね」と認めてあげたいものです。
そんな子どものふとした言葉によって、「この子はどうしてそのように言ったのだろう?」と考えることができるわけです。素朴な子どもの言葉を通して、その子のことを理解していくことが、その子の良さを引き出すうえでも、信頼関係を築くうえでも重要なことです。
ちなみにNGの返し方は次の通りです。
「次は算数だから,体育はできない。わがまま言わないの。」
こんなふうに、スパッと子どもの素朴な言葉を切り捨て、教師にとって都合の良い言葉だけが飛び交う教室・学校にはしたくないものです。
また、授業においては、教師の予想していない反応に対し、なぜその子がそのように考えたのかが大切なので、「どうしてそう考えたの?」「もっと聞かせて?」と聞くことが大切です。
先生の言うことが絶対ではない、民主的なクラスになる
僕は、集団において、民主主義の原理を大切にしています。
なぜなら、
クラスというのは、そこに所属している一人ひとりの良さや課題が混ざり合い、個々や集団が高まっていくところだからです。
また、一人ひとりの考えが尊重されるという民主主義の根本原理に価値を感じているからです。
逆に、
先生の言ったことや与えたことに全部言うことを聞くクラス
を想像してみてください。僕はこれには、ものすごく違和感を覚えます。
これは戦争時代の日本の様子を思い出させるような最悪の状態です。
要は上の言うことには従わなければいけない、反抗してはならないという最悪の状態だと思っています。
先生がお山の上のボス猿になりそのクラスを管理している集団、これは健全ではありません。
このような状況にならないためには、
「先生は絶対でないし間違えることもある」
「年齢は違えど人としては対等であるから、言い合うことが大事」
という価値観をクラスの中でつくっていく必要があります。
自分自身の授業や行動を振り返ることができる
授業をしていると時々、ものすごくつまらなそうにしている子がいます。また、普段の生活でも自分の指導がきちんと伝わっておらず、同じような失敗を繰り返してしまうことがあります。
これはその子の責任ではなく、完全に教師であるこちらの責任であると僕は捉えています。
勉強に前向きに取り組まない授業だったということは、その子にとっては不必要なものであったということです。
どうしたらこの子が授業に振り向いてくれるのか。自分の授業を見返す大きなチャンスです!!
その反面難しいところもある【折り合いをつけていく】
“自由”と“自分勝手”のはき違い
ここまで、教師の意図していない行動をする子どもを肯定しているような論調で書いてきましたが、決して、「子どもは何をしても良い」と言いたいのではありません。何でもかんでも子どもの自由を認めるのとはまた話が違います。
何でもかんでも認めてしまうと、コミュニティとして成立しなくなるからです。
“自由”と“周りのことを考えない自分勝手”をはき違えないことは大切なポイントです。
例えば次のことは、より良く生きる自由として適切でしょうか?
・みんなが集まらないと始まらないことに遅れて来る
・みんなが給食の準備をしているのに一人だけ遊んでいる
・授業中に一生懸命勉強している人のじゃまをする
・友達の悪口を言う
・みんなの前で「〇〇ってやだー」と言う
・ルールを守らない
これは、相手の自由をうばっています。
相手の自由をうばうものについては、“自由”とは言えません。
大事に子どもと考えていく必要があります。
勉強をしない子にもさせなければいけない必要がある
学習指導要領で決まっていること
教師は学習指導要領に則って教育をする必要があります。
学習指導要領が成果目標であるとすれば、それはかなり膨大な量になります。
そんな中で、「あなたは勉強しなくて良いよ」と子どもに言うのは、教師の責任を放棄しています。
何とかその子の興味を引き出したり、個別に対応したりしながら、その子が勉強するように仕掛けていく必要があります。
既習を理解しておかないと本人が困る
学校での勉強は、これまで勉強してきたことを使って新たな問題を解くということがとても多いです。特に算数なんかは、教科書が系統的にできているので多いです。
例えば、5年の時の三角形や平行四辺形の求積は、4年の時の四角形の求積の方法を理解していないとできません。つまり、これまでの勉強を理解できていなければ、新たな問題を解くことも難しいのです。
勉強しない子は学年が上がった時にこうなってしまうことを先生は分かっているので、無理に勉強をさせようとしてしまったり、時に厳しく叱ります。
言われる側の子どももやらせる側の先生も、どちらも辛い立場ですよね、、、
先生が何とかして興味を引き出せたら良いですが、勉強きらいとなってしまっている子が勉強好きになることはなかなか難しいです。
どうしたら良いでしょうか???
一つの方法として,先生と子どもで「ここからここは頑張ろうね」とルール作りを行っていく。できたら「頑張ったね」と素直に認める。
もし他にあれば教えていただきたいです。
おわりに【その子の思いをまずは認めることが子どもを尊重することにつながる】
子どもは、“〇〇したい!!”“〇〇したくない!!”など、一人ひとりが自分の意志をもって生活しています。
先生の意図と合わないこと,ズレることは山ほどあります。
それがその子のありのままの姿なんですから。
そんな時、僕はそのズレを楽しめる教師でありたいなあと思っています。
僕もまだまだ全然できていないので、意識して行っていきたいことです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
では!!