この記事は個性重視の教育について,どのような個性重視の教育について考えていきます。
先日Abema TV であるニュースを見ました。
ここでは,校則の是非にも議論されていて,僕自身もとても考えさせられました。
ブラック校則について言えば,
“そんな校則はおかしい、茶髪だろうと,どんな服装をしようと個性だから,別に良いよね?”なります。
もちろん見直されるべき校則は非常に多くありますが,では今の段階で何でもオッケーとして良いのでしょうか?
1 問い【何でも“個性があって良いよね”は浅はか】
きまりを守らない子に対して,何でもオッケーではとても浅はかです。
例えば,シャーペンを持ってこないというきまりがあるのに持ってくる,髪色は黒なのに茶髪にしてくるなどが例としてありますが,
では,なぜ,こういうきまりを守らない子はきまりを守らないのでしょうか。
子ども目線で考えると様々な理由がありますが,大きく言えることは
【自分に自信がない】のです。
つまりきまりという枠からはみ出るは,人とはちがうことをすることでしか自分を表現できない,今の自分が満たされていない,そういったものの表れです。
現状に満足していれば,きまりを守らないことなど考えようとはしません。
なので,この子たちの苦しさを教員側は理解していく必要があります。
では,校則がなくなればその子達は生きやすくなるのか?と言ったら,意外とそうではなく,問題の本質はもっと別の場所にある場合もあります。
ある子どもの行為について“個性でオッケー”でもきまりを守らない=ダメと見るのではなく,もっと広く深い子どもの見方をすでに先生たちはされていると思います。
子どもの見方についての記事はこちら
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2 きまりを破るは正当ではない【不満であればきまりをかえるべき】
では,きまりを守らないことは良いこでしょうか?
“良いことではない”が僕の考えです。
Abemaニュースでも議論されていましたが,存在するきまりを何でも無視することは正当ではありません。
ルール違反です。
何でも自分の思い通りの生活ができるなんてことはどこの会社でもありません。
必ず必要最低限のきまりがあります。
もし,きまりについて“これはおかしい”というものがあれば,きまりを変えていくという
ことが大切です。
そのために教員側は,子どもがきまりを変えられるような仕組みを作っていくべきです。
また,先生に何でも言いやすい雰囲気を作っていくべきです。
きまり=絶対的として見るのではなく,子どもの“不満”に対して“悪”と見るのではなく,“良くそんなこと考えたね。理由は?”と共感しながらもその子の考えを聴くことが子どもに寄り添うことだと僕は思っています。
もちろん,命に関するきまりは守る必要があります。
3 おわりに【大切なことは子どもを深く捉えること】
個性とならんで多様性についても最近言われていますが,個性があったり多様性があったりするのは本来は当たり前です。
なぜなら生育歴や遺伝子レベルで全てのものがちがうから
考え方も感じ方もちがって当たり前の中で,何を学んでいくかが最近は問われているのだと思います。
そのためには,“個性重視だからハイオッケー”ではなく,なぜ“この子がこう感じているのか?”常に問い続ける必要が教員にはあります。
“なぜ,この校則がこの子は疑問に感じるのか?”“どのような方法で解決していくことがこの子にとっては良いか?”
一人ひとりちがったアプローチをしていく必要があるのではないでしょうか。
こんな自分自身も明確な答えが出せずにいます・・・
最後までお読みいただきありがとうございました。
では!!