小学生youtuberが,“学校に行きたくないなら行かなくても良い”ということを言っているのを以前動画で見た。
彼が学校に行かなくなった理由には,担任の先生と宿題のことでもめたことがきっかけだったようだ。
そして彼は学校には基本的に行かなくなった。
彼は行きたい時間だけ学校に行って,それ以外は自分の家で好きなことをしたり,勉強したいときは勉強したりしている。
絶対に学校に行かないということではなく,プールや給食などの好きな時間には行く。
担任の先生との間でも合意はとれているという。
とあるニュースを見ると,彼は,“学校に行くということは権利はあるが,それは義務ではない”と言っていた。
なんとも良くそんな上手なことが言えるなあと思った。
トークがめちゃくちゃうまい。
ネットにはかなり賛否の声が上がっている。
クラスの子どもに聞いても彼の存在は知っていた。
ちなみに今回の小学生youtuberだけでなく,小中学校段階から学校に行かずに“好きなことをして生きて行く”という子どもは他にもたくさんいる。
学校に行かずに,彼のような“好きなことだけして生きていく”ことについて,一人の教員として彼の生き方について考えてみる。
なぜ彼のような“学校に行かずに好きなことをして生きていく”という人がいる?について考える。
①学び方の多様化
昔は学校に行かなければ勉強できなかったが,コンピューターの発達によって学校に行かなくてもあらゆるところで勉強できるようになった。
②生き方の多様化
これは“なぜ学校に行くのか?”ということにもつながるかもしれないが,昔はテスト至上主義だったように思う。5教科しっかし勉強して,テストで良い点をとって進学して,会社の試験に合格して就職するというのが,いわゆる基本的な生き方だったように思う。
しかし,今はこれが“正解”ではなく,一つの仕事の在り方になってきている。そのため,勉強する目的というのが感じづらくなってきているのではないか。
また,今は勉強なんてしなくても知識レベルのことは調べればいくらでも出てくるし,計算だって電卓があればできる(考え方を理解することはとても重要だとは思う)。
③同質な集団が苦手
閉塞的な“学校”“クラス”という集団。
そこに潜む同質性“みんな一緒というのが正義”“みんな一緒が当たり前”
もちろん居心地が良いなと感じる人も多数いるが,一方でそうでない子もいる。
“みんなと勉強するのが楽しい!!”という一方で,“一人で勉強した方が落ち着く”人もいる。
そういう子に,“席に座ってみんなと同じようにみんなと一緒に勉強しなさい”ってかなり苦しい。
自分が中学の頃も社会の授業なんかはずっと資料集読んでいたし,英語の宿題してたらげんこつもらったことがあった笑
その時は,“今は本当はやってはいけないことをやっている”という後ろめたさがある中そうしていたが,今考えると暇だったから仕方がない。
そういう同質かつ閉塞的な集団には“いじめ”が起きる確率も高くなる。それは一人ひとりの心によるところが大きいが,環境がそれを醸成させる。
そんな自分がいじめられるところになんていたくもないし,逃げるべきである。
こんな感じでおそらく多くの人達が気づいていることを書いたが,ではどうしていけば良いか。
①何か一つでも学校に行く目的をつくる。
②何となく居心地が良いなという環境をつくる。
③相対主義に陥らない程度に“みんなちがってみんな良い”の感覚を高める。
④でる杭は打たれない環境をつくる。
⑤多様な生き方や多様な価値観があるからこそ,多様な価値観を受け入れる。
最後に,ここには書かなかったが,学校に良さがあることは間違いない。
学び方,人間関係など様々なことを学べる場である。
それと全員が全員,小学生youtuberのような生き方はできないし,彼のお父さんがこの生き方が絶対的な正解ではないし,学校へ行くことを否定してないと言っていた。
ただ,“学校の在り方”が変わって行かなければいけないということは事実かな。
どうやって変わって行かなければならないのかは,かなり議論したいところ。