・そもそも任命拒否の何が問題なの?
こんな疑問に答えます。
・問題点を基に教員として考えたこと
この記事を書く僕は、以下のような人間です。
「小学校の教員をしている」
「子どものエピソード・本から得た学びをもとに自分自身の視野が広がることに喜びを感じている」
「毎日1冊本を読み、教育に役立つ情報を得ている」
「毎朝必ずネットニュースを1時間集中して見ることを欠かさない」
時事ネタや最新情報については、ある程度詳しい自信があります。
目次
日本学術会議任命拒否の問題点
ここでは問題点を大きく2つ紹介します。
①内閣が研究者を選ぶことに介入した
②任命拒否の理由をきちんと説明していない
順番に解説していきます。
問題点その1【内閣が研究者を選ぶことへ介入したこと】
どういうことかと言うと、日本学術会議はこれまで日本の発展のために大きな役割を果たしてきました。しかし、その学術会議の研究者たちは、過去に戦争に勝つための手段として軍事研究をさせられたことがありました。もちろんそこには学問の自由という考えは存在しないし、当時の研究者たちに拒否権はありませんでした。
そういった戦争に関わった歴史があるため、学術会議は内閣の管轄下ではあるが、それは形式であるに過ぎず、独立したものであると定められてきたのです。なので任命もあくまで形式的なものであり、当然拒否なんてことはあり得ませんでした。それなのにも関わらず、今回内閣は『任命拒否』という形で介入をしました。これは異例の事態です。
問題点その2【任命拒否の理由をきちんと説明していない】
では、なぜ内閣府は、学術会議研究者の選定に介入したのでしょうか?
これまでとは違ったことをした場合、気になるのは当然のことです。
それなのにも関わらず、この理由がなぜかきちんとされません。
これが2つ目の大きな問題点です。
これまで菅総理は任命拒否の理由を求められてきたが
「個別の人事に関することについてコメントは控えたい」
「総合的、俯瞰的な活動を確保するため」
「前例を踏襲して良いのか。前例主義を打破する」
と答えてきました。。
これはきちんと説明したと言えるのでしょうか。
「総合的、俯瞰的ってなんですか?」となるのがごく当たり前の感覚です。
国民の税金でお仕事をされているわけですから、このあたりは責任をもって説明してほしいものです。
それとも説明できない理由があるのでしょうか、、、
謎は深まるばかりです、、、
問題点について考えたこと
先ほども言いましたが、“内閣が任命拒否をした”というこれまでとは違った動きについて気になることは誰しもが当たり前の感覚です。
しかし、どういうわけかその説明が十分になされていない、これではモヤモヤがたまる一方です。
一国民の立場としては、税金を払っているのであるから、説明責任はきちんと果たす必要があるのでは?と感じます。
それと同時に、専門家でない人の立場からしたら、任命拒否そのものが問題というわけでなく、拒否した理由について説明してもらい納得したいという気持ちが先決です。
もしかして、「少し経ったら忘れてくれる」というふうに思っているのではないかと少し怖くなってきます。これまでも説明責任を果たさず、いつの間にか消えていった話題はたくさんありました。
これも作戦でしょうか???
教員として大切だと感じたこと【正直に子どもに説明すること】
この問題を調べて、教員として大切だと感じたことがあります。
それは、「子どもと真っ直ぐ向き合う」ということです。
説明を求められたら、正直に説明する。理由までしっかりと!!
これこそが、“誠実性”であります。
そして、
- 失敗したら謝る
- きちんと理由を説明する
- 自分の言動や行動に責任をもつ
- 相手の納得度を考える
を意識していたいと感じました。
どれも人として当たり前のことですが、今回のことで改めて考えさせられました。
こういった積み重ねによって、信頼関係が生まれ、人を好きになり、そのコミュニティを好きになるのだと思います。
だからこそ、そのコミュニティに貢献したくなる。
国で考えると、住んでいる地域が好き。国が好き。だから、そこに住んでいることに安心感が生まれ、住んでいる地域や国、そして国民に貢献したくなるものではないかなあと思いました。
まとめ
今後も日本学術会議任命拒否問題の動向に目が離せません。中には、内閣と正式に独立した方が良いのではないかと主張している方もいます。
一体どうなるのでしょうか、、、
今後も情報収集していく必要がありそうです。
それではまた!
日々成長!