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【哲学初心者向け】哲学は生きづらさを救ってくれる『武器になる哲学』を読んで

最近,かなりの金欠です。

なぜならアマゾンや本屋さんで,“これ面白そう!”と思ったらすぐにポチッと購入してしまう癖があり,それのことによりついに“金欠”という闇に陥ってしまった。

ということで,ついにkindle unlimitedに入会して,本はもう当分買わないことを決意しました。

kindle unlimitedで何か面白そうな本はないかなあとサーチしていると,山口周さんの『武器になる哲学』が目に止まった。

武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50

武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50

 

 “哲学”って知れば知るほど面白い!!

 

もっと早くに出会っておけば良かったなあと思った。

まあ,実は高校くらいから出会ってはいるんだけど高校の社会の授業とか教員採用試験とか,哲学者の色んな単語だけ覚えて,テストでそれを書ければOKという話。

例えば,デカルトの“我思うゆえに我あり”とか,ベーコンの“イドラ”とか,ニーチェの“神は死んだ”とか,ソクラテスの“無知の知”とか,単語レベルでは数えるとキリがない。

これまでは,“テストのために”覚えていた。

それぞれの意味関しては,“マジで意味不”←今考えると本当に無駄な勉強していたな笑

 

この本では,過去の哲学者が最終的に導いた結果である言葉に至ったプロセスや社会的背景が書かれていて,“あ〜,だからこの考えが生まれたのかあ”という気持ちになる。

そして過去の哲学者の思考法や言葉が,これからの社会にどのように適用できるかがとても具体的に書かれていてとても勉強になる。

50個のキーコンセプトのうち10個ほど紹介し,自分なりの考えを綴っていく。

 

①アリストテレス“ロゴス・エトス・パトス”

 “人を動かすためには,論理だけで動かすことはできないこと。人を動かすためには,論理は必要条件であって,他には倫理やその人のもつ情熱も同レベルで必要である”ということ。

確かに,理屈では絶対に言っていることは正しいし,それなりの情熱をもって話しているつもりでも,なかなか相手に伝わらないことがある。それはつまり,“エトス(倫理)”が揃っていないからだと説明できる。

エトス(倫理)ってこの3つの中では,一番難しい部分かも知れない。

説明している自分には価値があっても,説明されている人にとっては価値がない。これでは,人は動くことができない。

価値が多様化している分,人を説得するってかなり難しくなって行くんじゃないか?同じ価値観を前提としてもっていれば後は論理と情熱でいけそうだが,前提であるエトス(倫理)が違っていれば,そこに折り合いをつけるってなかなか難しい作業。

だからこそ,何かを変えたい時,根回しとかいう裏技的なことが日常として存在するし,価値に共感するって世代間にもよるし難しいところだなあ。

 

②ニーチェ“ルサンチマン”

“弱い立場にあるものが,強い立場にあるもに抱く嫉妬や憎悪,劣等感などの感情。これらにより,正しいものや凄いものへの価値判断の基準がおかしくなったり,強い立場の人達を何かしらの形で否定することにより,自己を肯定したりする。”

これよくある話。“なんであの人だけズルい”“自分も努力しているのに”という感情が良い方向へ働く人なら頑張れるはずだけど,それで諦めてしまう人は自己を変な風に正当化しようとする。

ちなみにこれ中学の時に実際にあった話なんだけど,けっこう俺は中学では学力トップの方にいて,授業中に意見言ったり,テストで良い点数取ったりすると当時の同級生の人から“キモ”という一言をもらった。完全に相手を否定することにより,自分の学力が芳しくないことを肯定化しようとしてたんだなと説明できる。“すげー!!”で良いじゃん!でも,自分自身もそういう時がしばしばあるから気をつけていこ。←反省(^◇^;)

 

③ユング“ペルソナ”

 “人のパーソナリティは基本的に変化することはないが,環境によって多面的に変化している”

これは,平野啓一郎さんの“分人”思想に似ている。

ペルソナ思想にはかなり共感している。確かに自分自身も,家にいる時,仕事をしている時,友人といる時,先輩といる時,後輩といる時など“誰といるか・どんなコミュニティ”にいるかによってパーソナリティは大きく変わっている。これは否定するものではなく,ごくごく当然のこと。だって,それぞれの場面で“心地良さ”を感じるためには,自分自身を変化させなければいけないからもはや必然のことだ。またペルソナという名の仮面は,大人になればなるほど増えていく。大人の場合は人間関係も広がるし,所属するコミュニティの数は増える。その分,自分自身のパーソナリティもミニマム化できるし,居心地の良くないと感じる場合はシャットアウトすることができる。

話は少し脱線するが,子ども時代の人間関係とかコミュニティって本当に少ないから,その分パーソナリティも少ない。コミュニティといえば,だいたい学校か家だ。その2つのうち片方でも居心地の良くない自分だったら最悪だ。だって,自分のパーソナリティの半分は居心地が良くないと感じているのだから。ペルソナ思想をもとにして考えると,子どもにとって居心地の良い学校でやっぱり追求していかなければいけないところだ。

 

④フロム“自由からの逃走”

 “自由とは,孤独と責任を伴う”

最近,“自由こそ正義”みたいな感じで,社会が大きく変わって生きているように感じる。しかし,“自由になれば本当に人は幸せになれるのか”という大きな問いが立ちはだかる。自由と責任は表裏一体の関係にある。例えば,アメリカは新自由主義の国家で自己責任論がかなり強め。しかし,日本はどうか?自由ではあるが,アメリカほど自由ではなく,規制もあり,自己責任ではなくみんなで他者を守って生きましょうねというスタンス。なんか中途半端な感じ。でも,“じゃあアメリカよりも自由ではなくて,あなたは幸せではないですか?”と聞かれたら,自分だったら“NO”と即答する。つまり,自分にとっては今のくらいの自由で丁度良い。もちろん,“もっと自由になりたい”という人も世の中にはたくさんいるだろう。また,“こんなに自由じゃなくても良い”という人も世の中にはたくさんいることも事実。

この前,宿題を“漢字練習どこでも良いよ”と言ったら,何人かの子から,“どこやるか先生に決めて欲しい”と言われた。また,何人かの子には“自分で選べて良い”とも言われた。自由を求めている範囲って子どもによっても違うし,“先生に漢字練習の範囲を決めて欲しい”という人たちは受け身で主体的じゃないと一見見てしまうが,実はその子達は“自由からの逃走”をここではしているのではないか?

自分自身もある程度自由の枠組みを決めてほしい時がある。例えば,ギターを練習するときなんかは,家で自由に練習するよりも,ギター教室に入り2週に一度でギターの練習をするようなシステムを自分で作っている。自由ではギターが上達しないから,あえて,自分を管理してギターを練習するシステムを作った。“漢字練習の範囲を決めて欲しい”と言った子ども達と似たような感覚かな?

さらに,学校で“自由と責任”が過度に増大すると教育格差という危険性もある。もし,学校で“はい!何でも勉強して良いですよ。勉強の仕方は完全に自由です。”と何でもかんでも自由にしたら,自由に勉強できる人とできない人でかなりの格差が生まれてしまう。それこそいろんなパラメーターによってその格差は拡大してしまう恐れもある。自由に物事を成し遂げることが難しい人にとっては,サポートって必要だと思う。

 

⑤レヴィナス“他者の顔”

“分かり合えない他者が自分に気づきを与えてくれる”

言い換えると,“異質なコミュニティの方が同質性の激しい同じような考えのコミュニティよりも学びの質が高い”と言うもの。

確かに,同じ考えを聞き続けるってけっこう飽きちゃうかもしれないなあ。それとうまく言っている思考に陥っている時って完全に思考停止している←以前の自分笑

自分の価値観や常識の範囲外にいる人を何とか理解しようと,その言葉や行動の本質を探ったりしようとするから,その人のことが好きになり,自分のその人への捉え方を変えることができる。これはよくある経験だ。

そう考えると,自分とは考えの違う人こそ敬意をもって接していくことってけっこう自分の成長のために必要なことになってくる。

 

⑥デュルケーム“アノミー”

 “無連帯により,無秩序・無規範が起こる。”

アノミー化自殺というものがあるらしい。これは,アノミー化により,自由が獲得された結果,さらなる欲求が果てしなく続き実現できないことにより自殺することを指す。自殺まではいかなくとも,自由になったにも関わらず,自己実現できないことに自己嫌悪感や虚無感を抱いてしまうことも考えられる。働き方改革により,アノミー化が加速しているからこそ,かなり懸念していかなけれないけない。

無連帯にならないためにも,人とつながりをもつことは大事なこと。自由になることは承認されるべきだけど,アノミー化に陥らないためにも何かしらのつながりをつくる力(※しゃべりが上手というだけに縛られない多様なつながる力)をもつことができるような力を教育で培っていくってかなり考えなければいけない。

 

⑦マズロー“自己実現的人間”

 “自己実現を成し遂げた人は人脈は広くないし,そもそもマズローの五段階欲求説は正しくないのでは?”

よく見るマズローの五段階欲求説。よく見る三角形のやつだ。低次から高次の段階へ行くにつれて三角形の頂点にいくものだ。

これが実は間違っているのではないか?という問い。もし,仮に正しいという前提に立つなら,これって継続的に少しずつ高次の段階へ行くというよりは,毎日それぞれの段階を行ったり来たりしている段階な気がする。高次の自己実現段階はこういう人だみたいな特徴がいくつかあったんだけど,それらの特徴を全て兼ね備えた人って,もはや神なんじゃないか的にすごい特徴ばかりもっている。

というか,自己実現てそもそも何なんだろう?自分の目標を達成した時?その目標に向かって突き進んでいる時?自分ではない別の人の成長に関われる時?なんかその辺の定義づけが意外と明確に自分の中にないことに気づいた。要は,五段階欲求を理解して,“あ,今の自分は承認欲求フェーズにいるわ”“今は,自己実現フェーズにいるわ”ということを感覚的に理解して,その感情をどのように利用していくかが大切なのかな?

 

⑧ヘーゲル“弁証法”

 “あるテーゼに対立するアンチテーゼをぶつけてジンテーゼを導くことを繰り返していくことで,真理を追求していくという方法”

学校教育にはかなりよくある話

“管理”か“自由”か

“画一的なカリキュラム”か“子どもの問いや願いに寄り添ったカリキュラム”か

宿題は“必要”か“必要ではない”か

そんな二項対立でどっちが正解ということではなく,それぞれの良さをピックアップして,新たな形を作っていくそれこそが重要。世の中に絶対なんてない。

それはまさに科学やテクノロジーの力でより実現可能になってきた。

弁証法という哲学的な考え方が根底にあるからこそ,科学という学問がその手助けとして介入することができる。

 

⑨ミルグラム“権威への服従”

 “集団で何かをする時,個人の良心や価値判断は鈍くなる”

よく会社組織のドラマで,上司が“責任は全て俺がとる”というフレーズを耳にする。部下は責任の所在が自分ではなくなるため,かなり動きやすくなる。ただ,この上司責任問題かなり危険。“上司だから言っていることは正しい”“あの有名な〇〇だから言っていることは正しい”“みんなが言っているから正しい”など,人間は権威に対して服従してしまう。自分で考えることが減るし,誰かに依存することで自分が楽になるからだ。ただし,この場合,周りが間違っていても,権威に服従してしまう場合がある。そうならないように気をつけたい。自分で物事を考えて,勇気をもって“これってどうなの?”と発信できることはやはり重要になってくる。ロジックで間違ったことをするってどう考えたっておかしなことだもん。集団に所属していようと,ブレない信念て今後さらに大切になってきますね。

 

⑩デリダ“脱構築”

 “二項対立に縛られないように,そもそもの二項対立の枠組みを疑う”

脱構築の考え方において面白い内容があった。

世の中は多様性を重視していて,“多様性vs画一的”という二項対立において“多様性を認めろ”という。その主張自体が多様性を画一的にしていないか。多様性を認めるためには,画一的なことも認めなくてはいけなくなる。これだと,この二項対立は片方を認めるともう片方も同じように認めなくてはいけなくなるという謎の構図が出来上がる。そもそもこれは二項対立の枠組みがおかしいという結論に至る。二項対立は授業でもよく使う手法だが,乱用して良いのか考えていく。

 

 

ざっと,特に今の自分に刺さったキーコンセプトについて自分なりに思考してみた。

まだまだ面白いものがたくさんあるのでぜひぜひ読んでみて欲しい。

 

最後に,哲学って,“それって当たり前なの?”っていう“物事を批判的に問う”っていうところからスタートするけど,当たり前を問うとキリがないから,問うポイントを絞って考えていくことが大切だと筆者は述べていた。

例えば,“どうして家にあるゴミ箱は銀色なの?”っていう問いはめちゃくちゃどうでも良い問いで,“人間はどうすれば幸せになれるの?”という問いの方が万人に共通する問いだし,教員として常に考えていかなければいけない問いであることのように思う。

問うコンテンツにも優先順位があるって感じかな。