教員の仕事が多忙化していることがあちこちで言われていますがやはり,これは問題なことだと感じています。
教員の多忙化による最大の問題点は“教員に疲れがたまる”ということです。
教員に疲れがたまることの何が問題かというと,
教員に疲れがたまった状態で子どもに良い教育などできない」
ということです。
教師はいくら働いても残業代がない,あれこれやることが増えて減るものがない,一番肝心な授業準備ができない,結果として先生という仕事の人気がなくなるなど様々な問題がありますが一番の問題点は,教員の疲れにより,子どもに良い教育が行えなくなるということです。
今回の記事では,なぜ教員に疲れがたまっていた状態で良い教育ができないのか,その理由と,ではどうすれば疲れを溜めずに働くことができるのかという方法について考えていきます。
目次
1 教員に疲れがたまった状態で良い教育はできない理由
僕が思うに,教員の仕事として大切なこととして,
①子どもの能力を引き出すこと
②子どもが自分自身のありのままの存在を認められるようにすること
の二つが大きくあると思っています。
教員に疲れがたまっていると,上に書いたことはできなくなってしまいます。
特に僕のような教師として未熟な人は,疲れによって少しでも油断したらその時点でアウトです。
①の子どもの能力を引き出すために,教員はとにかく子どものことを,“観て・聴いて・感じて“いく必要があります。
教員が疲れているとそのアンテナはかなり低くなります。
特に授業は,教員が子どもを観て聴いて感じる中で捉えた子どもの姿から,問題を焦点化したり,子どもどうしをつないだり,問い返したり,価値づけたりしていく中で学ぶ喜びを見出していく活動であるので,教員の子どもを捉えるアンテナが低いと子どもの能力を引き出すことはできません。
ましてや問題を焦点化したり,子どもどうしをつないだり,問い返したりするなど授業を論理立てて構築し,学びを高い次元にもっていくことも疲れがたまっていてはできなくなってしまいます。なぜなら,これにはかなり神経を集中させなければできないことだからです。
②の子どもがありのままの存在を認められるようにすることについては,まずその子のことを教員がどれだけ理解できるかが大切です。
少なくとも教員側の大人的価値観のみで子どもを見ようとするだけでは,その子のことは理解できるはずがありません。
しかし,疲れてしまっていると,やはり視野が狭くなり教員の価値観のみでの指導になってしまいます。または,観る・聴く・感じるをおろそかにした放任のどちかになります。
以上のように,ゆとりをもって子どもを観るというのは,実は疲れがかなり大きく関わっています。
ちなみに僕の場合,疲れがたまりすぎていたときに長い指導をされ,話が何も入ってこなくなるときがありました。あの時は,頭の中が“プワーッッ!!”と爆発しそうな感覚に陥りました。“あ、キレるってこういうことなのかも”と思いました。
疲れは本当に良くないです。
2 疲れをためない方法
①とにかく早く帰る
当たり前のことですね。
教員の業務の中で量が多いのは,事務仕事です。
その事務仕事を早く終わらせる方法について書きました。
②周りの先生の目が気になる方へ→【そんなものは気にしない】
昨年,“わたし、定時で帰ります”というドラマが地上波でやっていました。
定時出勤・定時退社をする主人公の働き方・生き方について考えていくドラマでした。
ドラマでもやるくらいに働き方改革は社会の流れになってきています。
“遅くまで残って働いている人=すごい・頑張っている”という価値観はもう時代遅れです。
下の記事は,僕が当時見ていたときの思ったことです。
↓↓
3 おわりに【良い教育のためには先生が健康であることが大切】
本当にこれにつきると思います。
子どもたちのためにもまずは先生が健康でいることが大切です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
では!!