コロナウイルスの休校による対応について,学校で多くのことが議論されています。
どの学校でも次のことが議論されていると思います。
・休校期間中に心配なことを出し合う
・投稿した時のコロナ感染予防について
・休校期間中の分散登校について
・休校期間中の学習の保障について
・オンライン学習のためのパソコンの貸し出しについて
・今年度の行事の精選について
・コロナ対応中の「主体的・対話的で深い学び」の在り方
などなど
様々なことを決めていかなければならない状況にありますが,肌感覚として感じたことを今回は書いていきます。
目次
1 民主的な職員集団に進化!!
1 民主的な職員集団の良さ
コロナ対応についての決定すべき内容が多かったということもあり,とても民主的な職員集団になったということが実感としてあります。
コロナ対応は答えがないため,本当に職員が知恵を出し合って考えているなあということを感じます。
「民主的な職員集団?そんなの当たり前じゃん」
このように思う人もいるかもしれません。
しかし,全ての学校がこのような職員集団とは言えないのが現状です。
2 民主的な職員集団は“当たり前”ではない
「子どもとは上手くいっているんだけど,同僚と上手くいかない」
このことで精神的にやられてしまい休職・退職ということもあります。
民主的にならない理由として僕が考えることは以下の通りです。
・管理職の先生が高圧的かつ職員の意見を聞こうとしない
・自分の意見が絶対的に正しいと思っている先生がいる
・一部の権力をもった先生がいる
・若手の意見を聞こうとしない
言葉に角が立っているかもですが,こういう先生がいるとまず民主的になりません。だからこそ強く主張します。
3 民主的でない集団は“他人任せ”
ちなみに民主的でない集団だと
「どうせ自分なんかが言っても意味ない」
このような心理状況に陥ります。
「どうせ言っても無駄」
「陰でコソコソ言われるなら意見を言わない方がマシ」
「どんな対応になっても良い」
こうなってしまうと最悪ですよね。
自分が働いている学校なのに他人任せで責任放棄、、、
全く自分ごとでない、、、
4 力を合わせることができる集団!!
お互いを認め合い,かつ尊重し合える職員集団,働いていてとても居心地が良いです。
「コロナによるピンチでも,なんとか力を合わせて乗り越えていこう」
そう思える職員集団は最高です。
2 “当たり前”を問い直しやすくなった
1 行事の精選
行事について“これって必要なの?”と思っていてもなかなか言えない状況がこれまでありました。
しかし,今年度はこのような状況なので行事の精選を積極的に行っていくことができます。
決して先生達がラクをしたいのではなく,行事のねらいに立ち返った時に本質的でない部分があまりにも多いため,それらをそぎ落としてより意味のある持続可能な活動にしていくということが目的です。
例えば,卒業式について
・1時間30分も長々と行う意味→今年は3密を防ぐためかなり短縮→今後も
・在校生が参加する意味→今年は3密を防ぐため参加しない→儀式的行事の経験も大切だが,それ以上に在校生にとって長時間同じ姿勢を保っていることは苦痛→デメリットの方が多い→来年の在校生の参加も検討していく
などなど
卒業式に限らず,運動会の在り方,組体操,運動会と音楽会は隔年?,児童会の在り方など,これまで前年踏襲だったものについて新たな形を探ることができるようになりました。
2 コロナでなくとも“当たり前”を問い直す感覚を!!
てか,コロナでなくてもこのようなことはしていかなければいけないんですけどね(^^;;
なかなかに学校は前年踏襲が強く,問い直すことをしない場所なので
ま,これはけっこう問題ですが、、、
何はともあれ,コロナ対応をきっかけに多くの行事を見直すことができました。
これも民主的な職員集団の賜物です。
コロナが落ち着いた後も,“当たり前”を問い直す感覚は大事にしていくべきです。
だって今年はかなり変化させることができたんだから!!
3 終わりに
民主的な職員集団の大切さについて書きました。
みなさんの学校はどうでしょうか??
では!!