目次
教師が二学期の学級びらきで気をつけること3選
僕が、二学期の学級びらきで気をつけた方が良いと考えることは次の3つです。
①「海に行った人?」とは聞かない
②全員に共通している話題を話す【オリンピックの話は全体の前ではしない】
③どんな夏休みを過ごし方一人ひとりを観察する
学校には鬼滅の刃を見ている子どもたちがとてもたくさんいます。
見ていない自分からすると,“なんでこんなに人気なの?”“何がそんなに面白いのかな?”と思うくらいです。
教室では鬼滅の刃の話が良くされています。ことあるごとに鬼滅の刃。休み時間には主題歌であるLiSAさんの“紅蓮華”を弾いたり,「先生,曲流して〜」という人も。
好きなことやものがあるって良いなあと思います。
しかし,この盛り上がった状況の中で気をつけたいことがあります。
それは,大ブームの中で,“見ていない人がいる”ということです。
今回はこのような流行に乗っていない子のことについて考えていきます。
流行に乗っていない子の気持ちに先生はとにかく寄り添う
ほとんどの友達が見ていてその話題で盛り上がっている中で,自分はその話題に乗れない。
それはとても“寂しい”ことではないかと思います。
その子は
“話題についていけなくてなんだか寂しい。だけど,自分はそれほど興味はないからその話題について知りたいとは思わない。どうしよう・・・”
こんな葛藤を抱えているように感じます。
考えるだけでもなんだかもどかしいです。
僕は,盛り上がっているように見えても,実はそこに乗れずに寂しさを感じている子を大切にしたいと思っています。
2 僕が流行に乗っていない子に寄り添おうと思ったエピソード
子どもたちが自分のやりたいプリントを選んで自主的に学ぶために,“自分の時間”というものを毎日1時間とっているのですが,ずっとやっていると疲れてしまうことを考慮して,鬼滅の刃のぬり絵を用意した時のことです。
子ども達はとても大喜びで,計算や漢字のプリントではなく,ぬり絵を選んでもくもくと塗っていました。
そんな中,一人の子がずっと,「ぬり絵つまんない。鬼滅の刃知らないしつまんない。」と言い続けていました。はじめ僕は,(いやいや,そんな言うならぬり絵じゃなくて他の自分のやりたいプリントを選んでやれば良いじゃん)と思っていました。ですが,時間を開けてそれを言ったり,鬼滅の刃のぬり絵に“う◯こ”の絵を書いて,「先生見て〜!!」と笑いながら来ます。それからずっと先生の机にい続けます。
いかにもわがままで,おふざけしている光景
でも途中から,“もしかしてこの子は寂しいんじゃないかなあ”と感じ始めました。
“うんこを書いて僕に見せに来る。その後,ずっと先生の机にいる”行為の背景を考えてみると,次のように解釈できます。
うんこ=良くないものと捉えた時に,なぜうんこをぬり絵に書いたかというと,“みんなが鬼滅の刃が好きでぬり絵を楽しんでいるのに,自分は楽しくない。こうなってしまったのは鬼滅の刃がいけない。う◯こを書いてやる”と感じたからのではないか。
また,“その後も先生の机にいる”という光景。“みんなはもくもくと楽しそうに一人でぬり絵を塗っているけど,自分はもくもくと取り組めるものがない”ということに,とても心細さを感じたのではないか。
いかにもわがままで,おふざけしている光景
実はこれは,寂しさの表れだったように思います。
これが,僕が“盛り上がりに乗れない子を大切にしよう”と感じた理由の一つです。
その子が盛り上がりに乗れないことによる寂しさを感じているのではないかと考えると,その子の見方もガラッと変わります。
その後は,その子の好きなぬり絵のイラストを聞いて用意するという方法をとることができました。
3 おわりに【鬼滅の刃でなく,別の盛り上がっていることでも言えること】
“大多数は盛り上がっているんだけど,中には乗れない子がいる”
これは,鬼滅の刃でなくても,学校では様々な場面があります。
休み時間(自分は別の遊びをしたいんだけどみんなは楽しんでいる)の遊びから行事(運動会や文化祭,盛り上がっていこうぜに乗れない人),まで非常に多くの場面で起こり得ます。
そんな子の気持ちに寄り添えるのは,担任である僕の役割だと思ってます。
そして,これが“公平に子どもを見る”ということにつながっていく気がしています。
どんどんそういう子に目を向けるという文化がクラスで広がるように,まずは先生がそういう子に目を向ける必要があります。
集団の中で“個”を見る必要性も同時に感じた日でした。
いつもエネルギーに満ち溢れてエネルギッシュな先生も,実はこういう乗れない子に配慮しているのだと思います。
では!!