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【クラムボン、君は一体何者】宮沢賢治代表作『やまなし』を初めて読んでみての感想

文学作品とか小説って読めるようになるとマジで面白い

今週に入り,6年国語といえばこれ!!『やまなし』がスタートした。

宮沢賢治の代表作であり,とても有名なお話のようだが・・・

実は知らなかった。

でも多くの人が口をそろえて,6年=『やまなし』と言うし,どれだけ面白いお話なんでしょう!!と思って読んでみた。

5年生の時の『大造じいさんとガン』とか『わらぐつの中の神様』は,物語を読めば読むほど深く読めていく実感があり,めちゃくちゃ面白かった。

そんなふうにして,“やまなし楽しみ〜”と感じていた。

が,しかし・・・

 

〝マジでこの話意味分からねー!!〟

〝何が面白いんだこれ???〟

というような感じ・・・

子ども達もそんな感じ

ただ,これまでの経験からすると,小説や文学作品て,「このお話面白かったねチャンチャン」というものはあまりなく,何か作者が作品に込めるメッセージのようなものが必ず存在する。

例えばジブリでは,『トトロ』では,〝子どもにしか見えない世界〟というテーマというか主張というか,何か本質的なものが一つの線としてお話の中に引かれている。

また,『もののけ姫』では,“自然と共存できない人間”がテーマだし,当時の社会風刺をしているような感じがする。

この前どハマりしたドラマ『あなたの番です』では,〝愛〟がテーマだし

浅井リョウさん作の『死にがいを求めている』でも,現代に生きる人間の精神的な病っである“競争思考”や〝人はなぜ生きているのか〟という問題提起〟をしているように感じた。

 

では,『やまなし』を通して宮沢賢治が伝えたいメッセージやそのお話の本質とは何か?

ネットで調べるとかなり色々なものが出てくる。

 

クラムボンについて

“クラムボンとは,「プランクトン」のことであり,クラムボンが死んでしまったのは,魚が食べてしまったから。そして,その魚をカワセミが食べてしまった。つまり,食物連鎖の儚さを物語っている。”

 

5月と12月の対比について

“人間にとっての幸せは何かを訴えている。5月の段階では,魚はカワセミに襲われてしまうものの,カニ自身は生き残っている。自分だけが幸せな生活を送ることができるというもは,果たして幸せと言えるのだろうか。12月には,誰も襲われることなく,やまなしのおかげで全員が幸せになることができる。自分だけではなく,全ての人が幸せに生活を送ることができる,このことが真実の幸せではないか。”

 

宮沢賢治の境遇について

“宮沢賢治には妹がいて,その妹は病により倒れてしまった。物語はその悲しい出来事を表現している。カニは宮沢賢治自身であり,魚は妹,カワセミは病原体。5月にその話を擬人法で描いた。そして,寂しさの底にいる賢治も,このままではいけないと思い,新たな人生を歩み出す。それが,天井からやまなしが降ってきたということを表現している。”

 

本当に考えれば考えるほど,色々な説があり,宮沢賢治本人も別のお話で,“みんなが分からないものは私も分からない”と言っているし,本当の答えはない。

じゃあ,6年の授業で『やまなし』を取り扱う意味は何か?

それは,子ども達が“こうじゃね?ああじゃね?”と言いながら,何となく『やまなし』の本質を見出だしていくことのような気がする。

意味の“分からないことに意味を見出だしていく活動がこれからは大事”と落合陽一が言っていたけど,『やまなし』はまさにこれに近い。

どんなふうに一人ひとりが『やまなし』に意味付けをしていくか。

これは,かなり楽しみ。

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