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長野県教員採用試験『多様性』がキーワード【みんなちがってみんな良いはどこまでなら良いのか?】

今年の教員採用試験では『多様性』がキーワードだったようである

そしてちょうど似たようなタイミングで多様性をアップデートせよ

という番組を見た

newspicks.com

 

newspicksマジで面白いし勉強になる!!!

そして、

多様性について以下のようなことがディスカッションの中に出てきた

①多様性が目的であってはいけない

②多様性の中でどこに基準を置くかによって何が同質であって何が異質か変わってくる

③生物学的には多様性は生き残るための手段であった

 

これを教育に置き換えて考えると・・・

“多様性についてあなたは教師として何を大事にしますか?”

という小論文テーマで書くとしたらこんなことを書くかな

 

①目的を明確にした上での多様性

感じの悪い言い方をすると

“思考停止状態の多様性をしない”

“みんな違って良いよね”

“みんな自由だよね”

という感度は高めていきたいが,

それはクラスの目的・目標にフォーカスした上で行なっていく

目的・目標に同質性をおき,その上での多様性かな

そうでないと,“みんな違って良いよね”“みんな自由だよね”という多様性を意識した感情そのものが同質性になってしまう

すごく平和に1年が過ぎていくかもしれないが,ではその人たちは一体何を学んだの?

なんかものすごく味気ない

本当に喜びがあるのか?

・目的のためにぶつかれば良いし,その都度折り合いをつけられるようになって欲しい

・間違っている自由(自己中心的な自由)は間違っていると言えるようになって欲しい

・自分の大事にしたいことを大事にできるようになって欲しい

多様ありきの多様ではなく,クラスや自分の成長をさらに促進するための多様であって欲しい

 

②過度な平等ではなく公平を大事にする

〝あの先生は〇〇さんには優しいけど自分には厳しい〟

〝〇〇さんだけいいなぁ〟

という感覚を減らしていく

前提として、一人ひとりを大事にして愛情を注いでいきたい

だけど、その〝注ぎ方〟はちがいますよ

これを4月の初めに伝えたい

野球の監督に例えるなら、

バッティングが苦手な人にはバッティングの指導をするし、守備が苦手な人には守備の指導をさは

バッティングが超得意な人にバッティングの指導はしない

※まあ、するかもだけど、苦手な人とは違った指導をするはず

つまり、一人ひとり違う人間だし、得意不得意も違うわけだから、関わり方が異なることはごくごく〝当たり前

しかし、

〝〇〇さんだけずるい〟

〝〇〇さんには優しいけど自分には全然優しくない〟

という現状がチラホラ

そう感じるのではなく、子ども同士が

〝あ、今〇〇さんはそういうところで困ってるから先生は優しく教えているんだな〟

〝自分は一人で頑張れそうと周りの人が認めてくれているから先生は教えてくれないんだな〟

こう感じられるように、平等の愛情をもって子どもと接し、公平な関わり方

をお互いに尊重できるようにしていきたい

察するのは難しいから、まずは、自分の思いを伝えて行くしかないかな

そして、〝一人ひとりを大事にする〟ことを目的におくと、

その〝関わり方〟はやはり手段になる

その手段は多様であって良い

 

結論

目的を共通した上で、手段としての多様性を尊重し合いたいかな

まあ、これは究極の理想だけであって、事実も何も書いてないから、こんな論文書いたら評価あんま良くなさそう笑笑

でも、海外の教育っておそらくそういう感じだよね

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